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2006年 08月 25日
看病していた長女に「死ぬよ」と告げ・・・・・・・・・・・
膵臓(すいぞう)がんで7月31日に亡くなった作家の吉村昭さん(享年79歳)の最期は、自らの尊厳で選んだ覚悟の死だったことを24日、妻で作家の津村節子さん(78)が明らかにした。 津村さんによると、吉村さんは死の前日の30日夜、点滴の管を自ら抜き、ついで首の静脈に埋め込まれたカテーテルポートも引き抜き、直後に看病していた長女に「死ぬよ」と告げたという。 遺言状にも「延命治療はしない」と明記していた。 家族は本人の意思を尊重して治療を継続せず、吉村さんはその数時間後に死去した。 24日に吉村さんの生家近くの東京・日暮里のホテルで開かれた「お別れの会」の席上、600人の参列者を前に明らかにされた。 作家の高井有一さんら4人の弔辞につづき、あいさつに立った津村さんによると、吉村さんは昨春、舌がんと宣告され、今年2月には膵臓全摘の手術を受けていた。 (読売新聞) - 8月25日3時17分更新 ……………………………………………………………… 延命治療拒否宣言書(リビング・ウイル)に署名・登録した我が身としても、こういう最期のあり方には凄みを感じる。 吉村昭氏の小説は、事実、データを調べあげ淡々と描く手法が多いが、読み進むうちになぜか感動の渦に巻き込まれてしまう。 読んだ中でも特に印象に残っているのが、第二次世界大戦時に潜水艦で密かに日独間を往復、相互に軍事技術設計図、原材料等を決死で輸送した事実を描いた「深海の使者」である。スリル満点のノンフィクションであった。 遺された作品も凄いが氏自身の最期のあり方も凄いものであった。
by yamanteg
| 2006-08-25 21:11
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