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2010年 06月 14日
アルプス登攀記(ウィンパー著)を読んだ。
数々のアルプスを登頂した山岳紀行文の名著、といわれている。 20年前のヨーロッパ旅行の時に買っておいたものを、引っ張り出して読んでみた。 当時は、翻訳が気にくわなくて(日本語が生硬と感じたので)途中でやめてしまい込んでいた。 文学作品ではないし事実が分かればいいや、と今回思い立ち読んだ次第。 堅苦しい日本語を我慢すれば結構内容は濃い。 マッターホルン4,478 m 角笛、鹿の角などの意味という。 槍ヶ岳を鋭く長く天に伸ばしたような、巨大な岩石をドカンと据え付けたような雄姿。 登れない山と恐れられていた点で、日本における剣岳のような存在だったのだろう。 初登頂は1865年、イギリス人ウィンパー一行7人によってなされた。 マッターホルンの初登頂は1865年7月14日、イギリス人ウィンパー一行7人による。 登れない山とされてきたマッターホルンの、急峻で登攀不可能と思われていた東壁。これを科学的に分析し実は一番登りやすいルートと判断していたウィンパー。 マッターホルンの登山基地ツェルマットを13日に出発し、14日午後1時40分登頂に成功した。8回目の挑戦であった。 槍の穂先をさらに天に向かって長く伸ばし誰が見てもソレと分かる山。 アプローチは短いのである。 8回目の挑戦で初登頂に成功、下山し始めてまもなく、悲劇が発生した。 先頭を下っていた2人が岩場で足を滑らし飛び落ち、ロープで結ばれていた4人目までが宙に舞った。 4人目と5人目の間のロープが切れてしまったのである。 ウィンパーを含む3人が残された。 切れたロープは細く古くて弱い予備のもの(ザイルにあらず、いわゆる細引き)であった。 ほかに太くて丈夫なロープを沢山持っていたのに、なぜ弱いロープを使ったのか。 不注意とも思われるがナゾのままである。 この時に切れたロープなどの遺品は街(ツェルマット)のアルプス博物館に収められていて何時でも見ることが出来るそうだ。 そうだ、ぜひ見ておきたいと思った。 遭難した4人のうち1人の遺体は未だ見つかっていない、そうだ。
by yamanteg
| 2010-06-14 10:24
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